日本武尊にまつわる地名2

むかし、むかし、日本武尊は、朝廷に刃向かう夷荻を征伐するために、船橋にも進軍して来ました。

海神の近くに陣を構えました。そして、賊軍を打ち破り、大勝を納めることが出来ました。しかし、激しく苦しい戦いの後だったので、しばらくこの土地に滞在して、兵備を整えることにしました。いよいよ数日後に、次の土地へ転進することになりました。

尊は、この度の勝利は、天の神々のご加護だと考えていました。そこで、再び夏見の高天原に登り、ここで感謝の祈りをしました。

それから、一段落して、周囲を見渡しました。まず、真正面の崖下に広がる景色を見て

「ここは、夏に見ると、実によい所だ」

と賞賛して言いました。

次に、その左側には、先の戦いで一番手強かった熊襲(くまそ)の住んでいた土地が見えました。尊は感慨深げに

「あれが熊襲のいた土地か。何回攻めても、穴に潜って逃げられたものよ。熊襲が何人もいたようだった」

としみじみ言いました。

さらに左に目を移すと、肥沃そうな広い湿地がありました。これを見た尊は

「あそこは、きっといい米が出来るぞ」

と言って、従者に稲の植え付けを命じました。

こうして、尊は立ち去りました。その後、この時の尊の言葉が奇縁となり、これらの土地を「夏見」、「七熊」、「米ケ崎」と呼ぶようになったということです。

また、その日、尊は夏見から少し離れた高根の小高い丘に足をのはしました。ここから海を眺め、走水(はしりみず)の海に身を投じた弟橘暖(おとたちばなひめ)を、もの悲しげに偲んでいまし た。村人たちはその姿に深く同情し、その後この丘を吾妻台(あずまだい)と呼ぶようなったということです。