麻賀多神社(まかたじんじゃ) (佐倉市鏑木町(かぶらぎまち))

千葉県は古来、麻の産地であり「総国(ふさのくに)」の総は麻を表している。その中にある印旛地方は下総国成立以前は印旛国であり、 朝廷より国造が派遣されていた。その国造に多氏(おほし)伊都許利命(いつこりのみこと)が就任しており、 その国造が代々祀ってきたのが当社である。「麻の国で多氏(おおし)が賀す神の社」と訓読みすることができる。

江戸時代になると神社の西方に 土井利勝が佐倉城を築き、その城主となってからは、当社はこの地方の氏神であるばかりではなく、 城の追手門近くに鎮座する神社なので、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として代々の城主・家臣に篤く崇敬された。現在の社殿は1843年(天保14年)に、 のちに幕府の老中首座を務めた藩主堀田正睦が新たに建て替えたものである。


印旛国

後の下総国印旛郡に相当し、現在の千葉県成田市、佐倉市、八街市、四街道市、印西市、印旛郡に当たる。

伊都許利命

古墳時代の人物で応神朝の国造。

多氏

多氏(おおし/おおうじ/おほし)は「多」を氏の名とする氏族。日本最古の皇別氏族とされ、屈指の古族で、 神武天皇の子神八井耳命(かんやいみみのみこと)後裔(こうえい)とされる。
「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記され、九州と畿内に系譜を伝える。奈良時代から続く楽家の一つで、「神楽歌」と「舞楽」を父子相伝した。